海に囲まれた日本列島にはいくつもの「海峡」がありますが、その中でも、日本海と太平洋をつなぐ津軽海峡は海洋研究者にとって重要な特徴を持つ海域だといいます。その津軽海峡に面した関根浜港(青森県むつ市)にあるのが、国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)地球環境部門の「むつ研究所」。所長の佐々木建一さんによれば「津軽海峡沿岸域の観測、研究に軸足を置くようになったのは2014年から」だそうです。いま、この津軽海峡にある異変が起きているのではないかといわれています。そこで、津軽海峡の特徴やいま起きている変化について佐々木所長、海峡・沿岸環境変動研究グループ研究員の金子仁さんにお話をうかがいました。(取材・文:岡田仁志)

佐々木 建一
JAMSTEC 地球環境部門 むつ研究所 研究所長
2002年にJAMSTEC入所以来、化学トレーサを用いた海盆スケールの海洋循環研究などに従事してきた。現在は円滑な沿岸研究の促進に資するため、地域社会との連携などにも注力している。

金子 仁
JAMSTEC 地球環境部門 むつ研究所 海峡・沿岸環境変動研究グループ 研究員
海洋物理学を主軸に、物理現象が物質循環や生態系に与える影響についての研究を行っている。
暖流と寒流が「津軽海峡」周辺で交わっている
「関根浜港は海洋地球研究船『みらい』の母港なので、もともとは外洋域の研究がメインでした。しかし2014年から外洋域の研究が横須賀本部に統合され、その後この研究所では、津軽海峡(という複雑な海域)をおもな研究対象にしています。
ただし、2002年から、関根浜港の外にセンサーを設置して、定期的に水温の測定をしていました。地元の水産関係者から『せっかくここに海の研究所があるのなら、津軽海峡の水温をモニタリングしてほしい』という要望があったんですね。2009年からは、船舶による津軽海峡の観測も始めていました」(佐々木さん)
津軽海峡のいちばんの特徴は、この海域で「暖流」と「寒流」が交わることです。その意味合いについて、金子さん(海峡・沿岸環境変動研究グループ)が、海面水温の分布図を示しながら教えてくれました。

「日本列島の南からは、水温の高い黒潮が流れており、九州の西側で分岐します。そのうち日本海を北上する流れを対馬暖流と呼びます。その対馬暖流が津軽海峡に入って太平洋側に流出するんですね。この温かい海流が、津軽暖流です。
一方、日本列島の北からは水温の低い親潮などが流れてきます。この冷たい親潮と温かい津軽暖流という性質の違う水が接するため、津軽海峡はほかではあまり見られない非常に複雑な環境になっています。
近年は、黒潮がちょっと北のほうに張り出すという特異的な流れ方も見られるようになりました。その原因などはまだよくわかっていませんが、このように暖流、寒流の勢力は、上流域の地球環境の影響なども受けて、年々変化しています。そのため、津軽海峡の環境はこれまで以上に複雑な様相を呈してきています。津軽海峡の環境を調べることは、より広い範囲の地球環境変動について考えることにもなるのです」(金子さん)
津軽海峡の海洋環境が生態系に及ぼす影響
津軽海峡周辺はさまざまな水産物のとれる好漁場でもありますが、それも、暖流と寒流が出会う場所だからこそのようです。
「暖流と寒流は、含まれている栄養分が違います。一般的に、冷たい親潮の水は栄養をたくさん含んでいるのに対して、温かい津軽暖流は相対的に栄養が少ない傾向にあります。その一方で、暖かいほうが育ちやすい生き物もたくさんいますよね。北から栄養が供給され、南から温かい水が来る津軽海峡は、そういう生き物にとって好適な環境になっていると考えられます」(金子さん)
もちろん、生き物の中には、冷たい海のほうが育ちやすいものもあるでしょう。そのため佐々木さんによると、「温かい海を好む生き物と冷たい海を好む生き物が混在しているのも津軽海峡の特徴」とのことです。
「たとえばコンブはどちらかというと冷たい水、ワカメは逆に温かい水を好むそうですが、下北半島のあたりには両方とも棲息していますね。われわれは生物の研究はしていないので詳しくありませんが、生物の専門家を呼んで、子ども向けに沿岸域の生物を観察するイベントもやっています。
いずれは、生物層の変化を長期的に観測することで、温暖化に伴う暖流と寒流の変動による影響なども調べられるようになるかもしれません」(佐々木さん)
津軽暖流の季節変動
津軽海峡から太平洋に流出する津軽暖流には特徴的な季節変動があり、夏から秋には「ジャイアーモード」、冬は「沿岸モード」と呼ばれる流れになるそうです。「ジャイアー」とは、「渦」を意味する言葉。水温の上がる季節になると、海流が渦をつくる現象が起こるのです。
「冬は津軽暖流が下北半島に沿って流れるのですが、夏から秋にかけて温かい水が時計回りの渦を描きます。直径100キロメートルぐらいの大きな渦が沿岸から離れて、襟裳岬あたりまで張り出していくんですね。
この津軽ジャイアーができる理由については、30年ほど前から諸説あるのですが、まだよくわかっていない点が多くあります。近年のように、黒潮から波及する温かい水が増えると津軽ジャイアーにどのような影響を及ぼすのかもよくわかっていません。このような事情も含めて謎の多い海域なので、これから研究すべき課題はいろいろあるんです」(金子さん)

津軽海峡の謎と素顔に日々向き合う
そんな謎に満ちた津軽海峡を、むつ研究所では、さまざまな手段でモニタリングしています。そのひとつが、海の表面の流速を観測する海洋短波レーダー。太平洋と接する津軽海峡東部海域でほぼリアルタイムの観測を行い、そのデータを「津軽海峡東部海洋レーダーデータサイト(MORSETS)」などで公開しています。研究のためだけでなく、漁業活動や海難事故防止にも役立つ情報です。

「レーダーアンテナから電波を発射すると、海面の波に当たって返ってくるときに、ドップラー効果が生じて周波数が変化します。その変調の度合いを解析することで、海面での流速がわかるんですね。
ただし、1ヵ所から電波を発射するだけでは、そのレーダー局に向かってくる流れと遠ざかる流れだけ、つまり1方向の流れしかわかりません。でも複数の局で得た情報を組み合わせると、複数の方向の流れの情報を用いることで2次元の流れ場の情報を広い範囲で得ることができます。
そこで、むつ研究所では現在、岩屋、大畑、恵山の3ヶ所にレーダー局を置いて計測しています。それに加えて、2023年からは北海道の汐首にもレーダー局を設置して、試験観測を始めました」(金子さん)

「むつ研究所」の研究活動紹介
海洋短波レーダーは広範囲の海面を常時観測できるのが利点ですが、電波は水中では減衰してしまうので、海の深いところの流速は測定できません。そのため、むつ研究所では、共同研究を行っている北海道大学の水産学附属練習船「うしお丸」で、海上から測器を海中に下ろして、水質を分析するための海水サンプルを取得したり、水温や塩分、鉛直的な栄養の湧きあがりの度合いや、流速の観測などを実施したりしています。
また、研究所が立地している関根浜港の岸壁では、常時、水温や水質を分析するための定点モニタリング採水を実施。さらに、海に浮かべたモニタリングブイから水中にセンサーを降ろし、流速や水温などを連続的に観測しています。
むつ研究所では、このように多様な手段を組み合わせた観測網で、津軽海峡のモニタリングを行っているのです。
「現在は、下北半島の西側に位置する蛇浦漁港沖と東側の野牛漁港沖の2ヵ所に、地元の漁業者の方にもご協力いただいてモニタリングブイを設置しています。水深1メートル、5メートル、10メートルといった複数の水深にセンサーをつけて、鉛直方向の水温分布データを取ることができる仕組みです。
ブイによる観測は、短波レーダーと違って、面的な情報を取れるものではありません。ただし、ある点での連続的な水温の変化の情報を得ることができます」(金子さん)

「最近の観測結果としては、モニタリングブイのデータから、西側の蛇浦と東側の野牛ではかなり様子が違うことが見えてきました。水深10メートルの水温を見ると、とくに夏から秋にかけて、野牛は表層の水温と値が近いのですが、蛇浦は表層との温度差が大きいんですね」(金子さん)
潮汐・地形の特徴
この水温変動と潮汐の関係を調べたところ、蛇浦の水深10メートルで急激に温度が下がる現象は、1日周期で変動する潮汐が強いときに起こりやすいことがわかってきました。
「大間と汐首のあたりを潮汐によって水が行き来するときに、鉛直方向の水の動きも生じるため、下から冷たい水が上がってくるのではないかと推察しています。
その動きが海の中の波となって岸沿いに蛇浦まで伝わっていくために、急激に水温が下がるのだと考えられます。そのような水温低下が野牛で見られないのは、蛇浦との海底地形の違いによるものでしょう。



大間からむつ研究所の西側までは、海底が切り立った崖のような急峻な地形になっています。一方、むつ研究所から東に向かう海底は、なだらかなすり鉢状の地形になっているんですね。
この違いによって波の伝わり方が変わり、同じ時期に同じ水深で水温を測っても、蛇浦と野牛で違う特徴が生じるのではないかと考えています」(金子さん)
強い潮汐と変化に富んだ地形、このあたりも、津軽海峡の海洋環境の「複雑さ」(金子さんによれば「魅力」)を増す要因なのでしょう。
年々変動・長期変化
水温については、季節変動が大きいこともこの海域の特徴です。夏場の水温が25度程度になるのに対して、冬場は10度以下まで下がります。津軽暖流の影響で、冬でも気温よりは海水温は高い傾向にありますが、長期的なモニタリングデータをみると、寒流の年毎の影響の違いや、暖流勢力の強まりなど、海の中の変化が捉えられているようです。
佐々木さんによると、「昔は冬場に5〜6度まで下がったのが、最近はそこまで下がらなくなってきたような印象があります」とのこと。2002年から関根浜港で測定している水温のデータを見ても、最低水温が徐々に上がっているように見えます。
「冬季の水温も中長期的な傾向としては高くなっているようです。ただ2014年は2月から3月ごろに水温が2度程度まで低下しています。これは、北海道方面からくる冷たい水が、例外的に津軽暖流を横切り、それが関根浜港まで届いたのだろうと思います」(金子さん)

こうした変化が、地球温暖化と関係があるかどうかは、まだわかりません。
さまざまな「謎」の発見とその研究を通じて、今後も津軽海峡は「海洋」や「気候」を理解するためのヒントを与えてくれそうです。金子さんに、これからの展望を聞きました。
「豊かな海」の研究所として
「私はもともと物理系なので、個人的な課題としては、津軽ジャイアーの形成メカニズムを明らかにしたいですね。また、海の深いところから栄養塩が湧き上がる物理的な機構やその変動についても調べています(*1)。
*1「海底地形周辺でピンポイントに起こる栄養の湧き出しが広域の生物生産を支える ―津軽海峡尻屋崎沖の事例―」
その結果として、津軽ジャイアーの中で生じる生態系なども見えてくるかもしれません。そこには、津軽海峡ならではの特殊な生物コミュニティがあるのではないかと想像しているんです。
生態系といえば、下北半島の沿岸は夏場に植物プランクトンが増えるという特徴もあります。一般的には、夏場は表面付近の栄養が使われて枯渇するので、植物プランクトンの増殖は抑えられるはずなんですね。植物プランクトンを育てる栄養がどこから来ているのか。その問題にも取り組みたいと思っています」(金子さん)
所長の佐々木さんは、地元の漁業関係者などに海の情報を提供するのも、この研究所の重要な役割だといいます。
「近隣の漁業関係者のみなさんにご協力いただいて観測を進めているので、研究で得られたデータや知見を使って、お返ししたいですね。たとえば『海の天気予報』みたいなものをつくって、海面利用者に提供していく。これについては、コンピュータ・シミュレーションを手がけているJAMSTECの他部署とも協力して進めていければ、と思っています」(佐々木さん)

むつ研究所では数年前から、地元の高校生といっしょに、海上の風を測定するセンサーを開発する取り組みも行っているとのこと。いずれはそれが、地元の漁船に積まれるようになるかもしれません。
地域とのつながりを深めながら、グローバルな海の問題に取り組む──そんなむつ研究所ですが、近年、もうひとつ津軽海峡に起きているある変化が注目されています。
次の記事『海洋酸性化が日本の海でも起きている!? 日本海と太平洋が交わる海「津軽海峡」で起きている変化とは?』では、世界の海で起こっているといわれる海洋酸性化が、日本でも起きているのではないかという視点から、むつ研究所の研究をもとにお話をうかがっていきます。
取材・文:岡田仁志
取材協力・図版提供:
地球環境部門 むつ研究所 研究所長 佐々木 建一
地球環境部門 むつ研究所 海峡・沿岸環境変動研究グループ 金子 仁

日時:2025年7月20日(日)10:00~15:30(15:00受付終了)※終了しました
会場:JAMSTECむつ研究所
参加費:無料、参加登録:不要